2014年06月17日

富山市のブラックラーメン

富山のラーメンで県内、県外でもっとも有名なのが富山ブラックである。2014年現在では、様々な味や店がある富山ブラックである。その始まりは1955年頃である。富山市中心部で富山大空襲の復興事業に従事していた若者の昼食や、肉体労働者のための塩分補給として、醤油を濃くしたスープのラーメンを作ったのが起源であり、今も学生やサラリーマンを中心に賑わっている。元祖富山ブラックラーメンは屋台であったが、後に屋号を「大喜」(小と大があるが、小で他のラーメン店の並の大きさである)として富山市西町に店を構えた。2000年頃、当時の店長が閉店を決意したが、ある企業が屋号を買い取り、「西町大喜」の店名で多店舗展開した。
この頃、富山のラーメン情報を扱う草の根の電子掲示板で、「大喜」に加え「麺家いろは」「竜豊」「万里」といった富山県内の比較的黒いスープのラーメン屋を総称して富山ブラックと呼ぶようになった。これらの店舗の中には、当初違う種類のラーメンを提供していた店や「中華料理店」の類であったものが、注目度の上昇に合わせて富山ブラックに主軸を移し、多くの富山ブラックラーメンが生まれた。現在では大きく分けて
元祖富山ブラックである「大喜」は富山市西町にあり創業昭和22年である。先にも述べたように元々肉体労働や運動後の塩分補給のため塩辛い味付けであることが特徴。この味付けは客が店に白飯を持ち込み、ラーメンをおかずとして食べるというスタイルの中で生まれたものである。白飯持ち込みが当たり前であった誕生当時の伝統を引き継ぎ、発祥の地である「大喜」西町本店ではライスをメニューに 含めていない。大喜の他店や他の富山ブラックではライスがメニューにあるのが一般的である。スープは醤油の濃度が高く、さらに上から大量の粗挽き黒胡椒をかけられており、独特の塩辛さを持っている。具ははメンマ、ノリ、など普通のラーメンと変わりはない。比較的太く辛みのあるネギの量が多く濃いスープのよく合い塩辛いスープを中和する役目もある。チャーシューも厚切りで味がほとんどつけられておらず濃いスープと一緒におかずとしても食べることもできる。またメンマがかなり塩辛く他の具や麺のアクセントなっている。麺は太く、少し固めでよく噛んで食べるおかずというコンセプトに合っている。濃くインパクトのあるスープとそのスープに合わせるだけでなく、それぞれの主張が激しい具と太く硬めの麺が絶妙なバランスな大喜伝統のラーメンである。店内は、昭和の香り漂う落ち着いた雰囲気である。
東京ラーメンショー2009、2010、2011年と三年連続一位の富山ブラック麺屋いろはは「大喜」の後にでてきた富山ブラックラーメンの一つである。そのラーメンは色こそ黒いスープであるが、味は塩辛くなくあっさりとしコクがある味わいである。麺屋いろはでは全国や世界で通用するためにはアレンジが必要と考えた。見た目の特徴を維持し富山特有の白エビや深層水を使い富山らしさを出したうえで多くの人の口に合うラーメンを作り出した。
このように富山ブラックラーメンは今までの歴史を維持していくものや、それを踏まえて進化していくものなど今後様々な可能性のある素晴らしいラーメンである。(出典ウィキペディアhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%8C%E5%B1%B1%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%83%E3%82%AF
大喜ノブラックラーメン大喜のブラックラーメン
いろは シック駅前店いろは シック富山駅前店
大喜 西町本店大喜西町本店






富山市のブラックラーメン
1977年(国土地理院より引用)

富山市のブラックラーメン
2007年(国土地理院より引用)

富山市のブラックラーメン
富山市の土地利用構想図(富山市のサイトから引用)

富山市のブラックラーメン
富山市の都市計画総括図(富山市のサイトから引用)




Posted by ゆうへ~ at 12:30│Comments(0)
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